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い〜ちいまむかしロゴ2008年7月号・74号 - い〜ちいまむかし

日本最多の神社 なぜ多いのか?
−−−八幡社

 日本には小さなものまで含めて約14万もの神社があるといわれている。その中で一番数の多いのが「八幡(はちまん)社」である。4万社以上あるといわれ、次に多いのが「稲荷社」。俗に「八幡稲荷八万(はちまんいなりはちまん)」(両社合わせて八万社という意味)などといわれる。この日本一数の多い八幡社だが、実はその神の正体はよくわかっていない。では、この八幡神が、全国に広がったのはなぜなのだろう?

大仏建立で躍進

八幡神社(千秋町浮野)
  八幡神社(千秋町浮野)

 全国にある八幡社の総本山は、大分県宇佐市にある宇佐八幡宮である。だが、その起源はよくわかっていない。
 由緒書によれば、その神は応神天皇(西暦400年ごろの15代天皇)の霊で、欽明天皇32(571)年に宇佐の地に出現し、神亀2(725)年に社殿を建立したのが始まりとされている。しかし「八幡神はもともとこの地方の土着の神だった」というのが、一般的な見方だ。
 八幡神は一地方神でありながら、その名前は早くから中央に知られていた。宇佐には呪術にたけたものが多く、天皇の病気を治すことなどを目的に、これらの呪術師が朝廷に招かれたためだという。こうして、朝廷は宇佐八幡宮を守護神としてあがめるようになったといわれる。
 宇佐八幡宮の中央進出が加速するのは奈良時代になってから。東大寺の大仏建立の際、工事が難航したとき、「神々をひきいて成功させる」という託宣により問題解決をはかったためだという。これは宇佐の呪術集団が、当時としては最新の金属加工技術を持っていたためと考えられている。
 これをきっかけに、宇佐八幡宮は国家の重大事に関与するようになる。天皇の即位や国家に異変があると、その報告や祈願のための使い(宇佐使)が宇佐に派遣されるようになった。
 さらに平安時代に入ると、僧行基が宇佐八幡を京都の石清水(いわしみず)に勧請(かんじょう)し、大社を創建した。これが京都における八幡信仰の拠点となり、次第に宇佐八幡宮は伊勢神宮に次ぐ地位を確立していったのである。

戦の神は源氏から

 時代劇などで武士がよく「南無八幡大菩薩」と唱えるように、一般的に八幡神は「戦(いくさ)」の神と思われている。これは清和源氏が信奉していたためで、源頼朝が鎌倉幕府を開いた際には、現在の鶴岡八幡宮が創建されている。こうして八幡神信仰は、武士の間に急速に広まっていったのである。
 さらに武士は自分の領地にも八幡社を建てたため、民衆の間にも八幡信仰が浸透。農民の間では、疫病や害虫を取り除き豊作をもたらす神として信仰されるようになった。
 また、八幡神は早くから道教や仏教と結びついてきた。そのため、天応1(781)年には「大菩薩」の神号がおくられ、東大寺をはじめ、各地の寺院の境内に鎮守の神として勧請されている。
 どうも八幡神は、その何とでも結びつく性格から広く普及したようである。その実体があいまいであるために、かえっていろいろなものと結びつきやすかったのかもしれない。

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