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味のある店2005年2月号・33号 - 人を訪ねる
豆本作家 松波逸雄 さん(76歳)
波逸雄さん
愛知県一宮市平和2-5-10
TEL:0586-45-0346

発想を広げることが
好きなんです

 ハガキの半分以下のサイズの本を「豆本」と呼ぶ。コレクターもいて、中には高値で売買されるものもあるという。そんな豆本を作り続けているのが、一宮市平和在住の松波逸雄さんだ。販売目的ではなく、あくまで趣味。頼まれて作ることも多い。そんな松波さんに豆本の魅力と作る楽しさを聞いた。

当初は手書き今はパソコンで豆本制作

 松波さんからいただいた名刺(?)は、小さなビニール袋に豆本が入ったものだ。豆本は「真清田神社の吐水龍」に関する話をまとめたもの。縦3センチ、横2センチ、厚さ1.5ミリ、表紙を入れて16ページ。ビニール袋には豆本のほかに、松波さんの住所・氏名などが書かれた紙が入っており、そこには「なぜ豆本が幸を呼ぶのか」というタイトルの小文が書かれている。
 それによれば、昔、中国で官吏登用試験「科挙」を受験する際、衣服に豆本(小さな参考書?)を縫い込んでおくと合格するという言い伝えがあった。そこから豆本を身につけると幸せが訪れるという。
 「豆本を作り始めたのは20年ほど前からです。当初は手書き、あるいはガリ版でした。本格的に取り組み出したのはパソコンが登場してからです。最初は4ビットしかない、いわゆるマイコンというやつでした。今なら小さな文字をプリントするのは簡単ですが、当時は自分でプログラムを組んで小さな文字を作っていました」と松波さん。
 以前、大学でコンピューターを教えていたというだけにパソコンを使うのはお手の物。手間がかかるのはプリントアウトしてからの製本作業。
 「プリントアウトしたものを折るのですが、ノンブルなどもきれいにそろえるように折るのがなかなか難しい。それにオリジナルの表紙を付け、背表紙を付ける作業も手間がかかります」
 豆本の素材になるのは民話や伝説、あるいは自身のエッセイなど。他の人の書いた川柳や俳句などを依頼されて豆本にすることも多い。豆本の題材になりそうな短い話を、いつも探しているという。
 「老人施設の人などに頼まれて、その人たちの作品を豆本にしたりします。すると家族などにすごく喜ばれるんです。心が癒(いや)されるといってね。豆本を作ってきてよかったなあと思いますね」

これまでに作った豆本は1,000種類以上

 豆本はもともと欧米が発祥の地。手軽に聖書を持ち歩くために作られたのが始まりといわれ、今でも盛んだ。聖書のほかにも、童話や詩集など数多くの豆本が作られている。日本での始まりは江戸時代から。静岡県藤枝市には豆本の博物館があるほか、豆本専門の出版社やマーケットもある。
 「日本でも豆本のコレクターは多く、びっくりするような値段で取り引きされていたりします。しかし、私は別に売るのが目的じゃないし、コレクターでもありません。欲しいと言われればあげてしまうこともあります。ですから手元に残っていないものも多いんです」
 松波さんはこれまでにもさまざまな豆本を手がけてきた。ヘビの皮で作った豆本、ミノムシの蓑(みの)で作った豆本、あるいは花嫁衣装の金襴緞子(きんらんどんす)で作ったもの、綿の栽培から手がけ、つむいで2年かけて表紙を作ったもの……、その数は1,000種類以上。中には口の小さいビンの中に入った豆本もある。
 「これなんか、ボトルシップと同じ作り方なんです。ビンの中で作るのですが、ピンセットでは大きすぎるので、針を使って作業をします」
 各地の豆本作家と交流することも多い。作ったものを交換したり、アイデアをもらうこともあるという。
 「いつも、こんどはどんな豆本を作ろうかと考えています。いろんな素材を探したり試したり、それが楽しいんですね。それで喜んでくれる人の顔を見るのは、もっと楽しいですよ」
 松波さんは豆本作家のほか、民話同好会や自分史の会の会長などの顔も持っている。
 「何に限らず、発想を広げることが好きなんですよ」。少年のように瞳をかがやかせ、松波さんはこうつぶやいた。

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