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い〜ちいまむかしロゴ2005年1月号・32号 - い〜ちいまむかし

「商売繁盛」の神様
稲荷信仰とは何か?

旧・尾西織物同業組合事務所(尾西繊維協会ビル)
三八稲荷神社。真清田神社境内にある末社で、京都の伏見井稲荷を勧請したものだという(一宮市真清田1)

 日本には約14万の神社があるというが、その中で多いのが「稲荷社」と「八幡社」である。この二つで全国の神社の半数近くを占めるという。
 中でも稲荷社は、民家や商店、工場など、さまざまな場所にもまつられている。よく、ビルの屋上に朱塗りの鳥居を見かけるが、大半は稲荷社をまつったものだ。これらも含めると、その数はぼう大なものとなる。では、これほど多くの人に親しまれている「お稲荷さん」とは、どんな神様なのだろう?

「稲荷」は農耕の神

 「いなり」とは、もともと「稲成」のことで、稲の成長を意味している。収穫した稲を荷(にな)って神に奉納したことから「稲荷」という名が付けられたという。いわば農耕の神だったわけで、それが次のような経緯で「商売繁盛」の神としてまつられるようになったといわれる。
 稲荷社の総本山は、京都の伏見稲荷大社。その基を築いたのは帰化人の豪族、秦(はた)氏である。秦氏は養蚕の技術を日本に伝え、機織りによってばく大な富を築いたといわれる。さらに製品の出荷を通して商業にも手を広げ、幅広く事業を展開した。
 その後、秦氏は伏見稲荷の氏子代表のような地位に就任し、伏見稲荷が秦氏の氏神的存在となった。こうしてもともと農耕の神だった伏見稲荷に、秦氏の影響から商工業の神としての性格が加わったというのである。
 伏見稲荷は創建間もない天慶5年(942)、最高位の「正一位」の位を授けられ、「正一位稲荷大明神」となった。さらに商業が活発化すると、商売繁盛の神さまとして人気を集め、江戸時代には隆盛を誇ることになる。こうして農耕の神だった「お稲荷さん」は、「商売繁盛」の神様として庶民の生活に定着していったのである。

キツネは神様の使い

 ところで稲荷社と言えば入り口などにまつられているキツネがまず思い浮かぶ。しかし、これは一般に考えられている稲荷の神そのものではなく、稲荷神の使いである。  稲荷社とキツネの関係については不明な点が多い。稲荷は農耕の神であったことから、春に山から下りてきて稲の収穫を助け、また山へ帰っていくと考えられていた。こうしたことから春先に人里に下りてくるキツネが、この神と結びつけられたようだ。人々は、身近にいて神秘的なところのあるキツネを神の使いと信じていたのである。
 また稲荷神は、平安時代後期にインドから伝えられた荼吉尼天(だきにてん)と同一視されたこともある。荼吉尼天は神通力により6カ月前に人の死を知り、その心臓を取り出して食べるという。キツネも動物の死がいから内臓を食べることから、キツネと荼吉尼天が同一視されたようだ。
 こうしてキツネは神秘的な生き物として取り扱われるようになり、さらには神が人間に乗り移る際に、仲介役を果たすと信じられた。稲荷信仰においてキツネが稲荷の神そのものと見なされたのは、こうしたキツネに対する信仰が背景にあったからだという。

 この地域にも「稲荷社」はたくさんある。来年の初もうでに「お稲荷さん」への参拝を考えている人も多いだろう。その際、商売繁盛を祈りつつ、その歴史に思いをはせてみてはいかがだろうか。

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