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| 現在の「一宮七夕まつり」風景 |
間もなく「一宮七夕まつり」が始まる。織物にまつわる祭りとして開催され、130万人の人出を誇る。仙台市、平塚市の七夕まつりと並び「日本三大七夕まつり」とも称している。しかし、仙台、平塚はともかく、その次については一宮市と安城市がお互いを主張している。はたして「日本三大七夕」は一宮か?安城か?
七夕は、旧暦の7月7日に牽牛と織女が再会を果たすという中国の物語が元。日本では、この織女が機(はた)を織り、日本古来の機(はた)は棚(たな)が付いていたことから棚機(たなばた)となり、ここから七夕が「たなばた」と称されるようになったという。
日本古来の信仰とも結びつき、お盆(旧暦7月15日)前の行事として定着。水浴びをしたり、人形や笹飾りを川や海に流して穢(けが)れをはらうのは、お盆に先祖を迎え入れるための準備だという。
さてここで、各地の七夕まつりの起源をたどってみよう。
仙台の七夕まつりは、昭和3年(1928)に開催された「東北産業博覧会」の記念行事としてスタートしている。以後、戦争による中断はあるものの、全市あげての祭りとして定着した。また仙台では江戸時代から七夕にまつわる行事がある。七夕の日、子どもたちが小屋に集まって一日を過ごしたり、七夕馬を飾ったりする。また七夕の翌日には笹飾りを川に流す習慣もある。
一方、平塚の七夕まつりは昭和25年の「復興まつり」が起源。これは先の大戦で壊滅的打撃を受けた平塚市の復興を祈願するもので、翌年から「平塚七夕まつり」として定着した。平塚では、七夕に子どもたちが笹飾りを持って町を歩き、各家の前でこれを振って穢れを払う習慣がある。この笹飾りをたばねて「竹御輿(みこし)」を作り、これを七夕の翌日に海へ流すという行事も行われる。
次は一宮の七夕まつり。繊維産業のPRを兼ねて、昭和31年から始まっている。真清田神社の祭神・天火明命(あめのほあかりのみこと)の母、萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)が織物の神とされることから、この織物の神に感謝し今後の繁栄を祈念するもの。織物と縁のあることから七夕まつりになったという。
一方の安城は昭和29年、夏期の商店街活性化のため「夏の観光資源に」と計画したのが始まり。昭和53年に開催された日本商工会議所創立100周年記念事業「全国郷土祭」で、仙台、平塚とともに「日本三大七夕」とされたとして、翌年から「日本三大七夕」をうたうようになった。
昭和20年代後半から30年代前半にかけて、全国で商業振興を目的とした七夕まつりが始められている。どうやらこのころ、一種の「七夕まつりブーム」があったようで、一宮や安城の七夕まつりもそのケースと見られる。つまり、始まりはどちらも同じなのである。
一宮市古見町在住の郷土史家・舟橋武志さんは「もともとは一宮が三大七夕だった。以前は一宮で使った七夕飾りを安城が持っていき、自分とこで使っとったぐらい。だから、あちらは一宮より遅れて8月のはじめに祭りをやっとる。でも現在では一宮は繊維がダメで、あちらは車で景気がいい。ご時世ということかな」と言う。
確かに一宮の繊維産業には活気がなく、自動車産業を抱える安城には活気がある。どうやらその差が、「日本三大」を名乗る声の大きさに影を落としているようである。