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| 「オランダでの経験を生かして、地域活動を続けていきたい」と杉本さん |
オランダの日本大使館に5年間勤務し、外交官として活躍。帰国後はオランダ紹介の本を出版したり、国際交流のための講演会を行ったりと、多忙な毎日を送る杉本尚美さんは、2歳の子どもの母親でもある。
「知られてそうで、案外知られていないオランダという国には、これからの日本にとって学ぶべきところがいっぱい。未来を担う子どもたちのためにも、いろいろな形で紹介していきたいですね」とその魅力を語ってくれた。
高校時代にアメリカ留学を体験したことがきっかけで「日本と世界を結ぶ架け橋的な仕事がしたい」との思いを強めた杉本さんは、大学卒業後、外交官試験に挑戦し、見事合格。95年から5年間、オランダの日本大使館に赴任し、広報・文化担当として、日本を紹介するために東奔西走の日々を過ごした。
「オランダといえば、チューリップと風車くらいしか知らないという人がほとんどだと思いますが、日本との交流は400年も続いているんですよ」
そういえば、鎖国時代もオランダ人は「長崎の出島」に住んでいて、貿易をしていたっけと、はるか昔に習った記憶がよみがえってきた。
「ふだん何気なく使っている言葉にもオランダ語はたくさんあります。例えばオテンバという言葉も、実はオランダ語のオンテムバール(ontembaar : 馴らしにくい)」が語源。将軍綱吉にオランダ人が馬を献上した際に、馬が暴れ出してしまい、その状態を通詞(当時の通訳)がうまく表現できずに『この馬はオンテンバールです』」と言ってしまったことから、来ているそうです」
また“やんちゃ坊主”の“やんちゃ”も、“ヤンチェ(ヤン少年)”が変化したもの。
「オランダ人は小さい子どもや物に『チェ』とか『ヒェ』という言葉をつけます。日本で言えば小さな子を呼ぶ時に『ちゃん』をつけるのと同じですね。ヤンというのはとても一般的な男の子の名前。それで『ヤン君』という意味が変化して、わんぱくな男の子のことを『やんちゃ』というようになりました」
そのほかにも「ポン酢」「ランドセル」など、すっかり日本語のようになっている言葉も、元をただせばオランダ語。杉本さんの話に思わず「へぇーへぇーへぇー」とボタンを押したくなってしまった。
「私も実際に住んでみて、びっくりすることがたくさんあったんですが、中でも街がとても合理的につくられていたことが印象的でした」
オランダは国土の4分の1が海抜0メートル地帯だ。建国の歴史はそのまま水との戦いの歴史といってもいいほど、水害には悩まされてきた。
「いかに水から国を守るかが大問題だったんですね。街の周囲に運河を造り、水を克服しての国づくりはオランダ人の誇りです」
そうした街づくりは、自動車より自転車を利用した方が便利という交通社会を生み出し、地球や人にやさしい環境をも生み出している。
「またオランダでは、安楽死の合法化や仕事を分け合うワークシェアリングなどが定着しています。高齢化に向かうこれからの日本社会が参考にしていけることが、たくさんあるような気がします」
外交官としてかかわったオランダ人も、一般の暮らしの中で親しくなった人たちも、おしなべて自由で気取らない人が多く、そこには平等で合理的な精神が息づいていたという。
「教育についても、子どもたちが自分で考えて進路を選択していけるようなシステムが確立されています。子育てを母親だけに任せるのではなく、みんなでかかわっていこうという姿勢は、ぜひ見習いたいですね」
帰国後外務省を退職した杉本さんは、結婚し、出産。現在は子育てに終われる日々だが、忙しい合間を縫って、講演会や地域活動にも積極的にかかわっている。
「わが町である木曽川町は、今、尾西市、一宮市との合併問題で揺れています。私は合併協議会の委員として活動していますが、今後どのような形になるにしても、大切なのは住んでいる私たち一人ひとりの意識。どういう街にしていきたいのかということが、一番大事だと思うんです。人任せにせず、それぞれが自分の問題として考えていきたいですね」
合理的、柔軟、自由など、オランダ社会に流れる長所に、日本人の勤勉さや他人に対するやさしさをプラスしていく…。そうして新しい自治の仕組みをつくっていくことが、子どもたちにしてやれることだと杉本さんは考えている。
「私が外交官として、自分の夢をかなえられたのは、普通に生活する中で、さまざまな人と出会い、チャンスをいただいたからだと思います。子どもたちにもそのことを伝えていきたい。自分の考えで行動し、自分の人生をつくってほしいと思います」
オテンバ外交官の手腕は、木曽川町でも健在だ。
「私にとってオランダも木曽川町も、大切な地域という意味では同じです。その地域をさらに素敵にしていくために、努力していきたいですね」