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| 平松哲夫さん。1947年愛知県一宮市生まれ |
バンドでベースを弾きながら、自身でも童話を書きためていた平松哲夫さん。30歳を期に、初めての童話集を自費出版。そこから童話作家としての人生がスタートしたという平松さん(一宮市光明寺)を訪ねた。
「初めて出版した『一番星にいちばん近い丘』で、第11回新美南吉賞をいただきまして、そこから作家としての仕事が始まりました」
もともとはジャズバンドのベース奏者として、ダンスホールなどで活躍していた平松さん。そのバンド時代、ふとしたきっかけで新美南吉の著作に接し、自分でもやってみようと思った。20代から書き始めていたという自作童話を出版し、見事、新美南吉賞の受賞につながったのである。
受賞後、少しずつ仕事が増えていったが、そのころの代表作のひとつにTBS系『日本むかしばなし』がある。作家としてデビューはしたものの、その内実はなかなかに厳しいものがあった。夜の長距離バスで東京へ。まる一日かけて作品の打ち合わせを行い、一宮の自宅に舞い戻って原稿づくり。
困難な中にも作家としての人生を歩み始めた平松さんに、東海ラジオから新たな仕事の依頼があった。それが同ラジオの人気番組『ぶっつけワイド』の中で、郷土の昔話を放送しようというものだった。
「『わがまちのむかしばなし』のタイトルで放送していたんですが、これが週1回のペースで、昭和58年から平成の9年まで、足かけ16年にわたって続きました」
『わがまち…』では、聴取者から電話やはがきで知らされた民話などの情報をもとに、平松さんが実際に現地へ赴いて取材。投稿者とともに、愛知・岐阜・三重の各県に 埋もれていた話 を発掘してまわったという。
「数えれば何百人にものぼる方々の協力を得て、高山、白川村、美濃、浜松、渥美、伊勢志摩、もちろん尾張・三河方面へも、くまなく出かけました。必ず現場を取材することと、もうひとつは、語り継がれた話の筋だけを書くのではなく、あくまでもその話に登場する人たちの心模様を描き出したいと考えていました」
平松さんの話は民話のカタチを借りたラジオドラマだと評されることも多く、まさに生きた民話づくりに、真摯(しんし)な姿勢で取り組んできた。そのかいあって、『わがまち…』の番組は、平成3年「民間放送連盟賞」の大賞に輝いている。
多彩な仕事を手がける平松さん、最近では地元ケーブルテレビ局の番組「ヒラさんのみん民」も、そのひとつだ。これもまた平松さん自身の手で取材し、構成した民話を、毎回15分、月1回のペースでオンエア中。
「老若男女を問わず、やはり人々は自分の生まれ育った土地や、そこに伝えられている話には興味がわくはずです。ですから、今考えているのは、そうした地元の民話を、子どもたちに伝えていけないかということなんです」
例えば池や川にゴミを捨てるなという看板があるとする。しかし、それを守らない子どもも多い。ところが、その池や川にまつわる民話を子どもたちに聞かせる。そうすることで、こうした禁止の看板を立てなくても、池や川がきれいなままで守られる…そんな効用があると強調する平松さん。
郷土の美しさを認識することや、その価値を共有することを目指して、新しい取り組みも少しずつ始まっている。
「今月、地元学区の子どもたちを連れて、このエリア(光明寺)を歩いてみようと思っているんです。徳川家康の話、戦争中の女工さんたちの悲しい歴史など、語るべきことはたくさんある。それを子どもたちが、どう受けとめてくれるか、今から楽しみです」
平松さんの弁によれば、“むかしばなし”は単なる“昔話”ではない。それが現代に受け継がれている以上、 生きたむかしばなしでなければならない。その意味では、平松さんの仕事は“昔話”に、現代という息吹を吹き込むことだといっても過言ではない。
「むかしばなしを通じて、現代を生きている自分の考えや思いを伝えられる。この仕事をしていてよかったなと思うのは、それを感じる瞬間です」